蒔田さくら子さんの歌でこのような歌があります。
今生の 納めのさくら 観る人も あるべしおのれと 誰か思はむ
(蒔田さくら子歌集『鱗翅目』より)
今見ている桜が今生の見納めとなる人もいるだろう。けれどもそれを自分のことと思う人は一人もいないということを歌われたものです。
私も散っていく桜を見ても、「また来年」と思ってしまいます。
けれども来年生きて桜を見る保証はどこにもありません。
明日を迎えることすら約束できないのが、私のいのちの在り方です。
そんないのちをあたかも自分の所有物のように思っていますが、自分の思い通りにならないのが本当です。
けれどもそんないのちの在り方に気づかされた時、毎年同じように咲いていると思っていた桜が、輝いて見えるのではないでしょうか。
桜だけではありません。
日々の暮らしの中のありとあらゆるものを「今生の最後」と思うと、これまで何気ないと思っていたことでも尊いもの、有り難いものだと気づかされます。
私のこのいのち、明日の保証はないと聞かせていただいて一日一日を大切に過ごさせていただきたいと思います。
南無阿弥陀仏