目に見えなくても

お話

先日のお盆の法要にお参りくださった方は、住職の法話でも聞かれたかと思います。

私たちは普段から目に見えるものだけを信じていませんか?日常の生活ではテレビやインターネット、スマートフォンなど、目からの情報がとても多いです。

しかし、目に見えなくても確かにはたらいているものもあります。例えば、風や香り、酸素もそうですよね。目には見えないですが、風が吹けば風を感じることができる、いい香りがする、酸素を吸って呼吸する。このように私たちの身の回りには、目には見えなくても存在するものも多くあります。

お盆ということで、皆様も亡き方を思い浮かべたのではないでしょうか。先立たれた方は目には見えません。しかし、先立たれた方を感じることはできます。その人との生前の会話や思い出を思い出すことで、確かにその人は存在していた。今は目には見えないですが、確かに私の心には存在しています。

阿弥陀さまのおはたらきも目には見えないですが、確かにこの私にはたらきかけてくださっています。

ではどうすればそのことを感じることができるのでしょうか。

それは、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお念仏なんですね。

阿弥陀さまは全ての衆生しゅじょう、つまり私たちを必ず救うという願いを起こされ、そのためにながく厳しいご修行をされ、その功徳がこの私の身に入り満ちてくださり、そしてこの口から「なんまんだぶ」というお念仏となってこぼれ出てくださいます。ここから阿弥陀さまのおはたらきがこの私にも届いてくださっていると実感できるんですね。

私たちは気づいていなくても、「安心せえよ、必ず救う」と常にびかけてくださっているのです。仏法に出遇であう、阿弥陀さまの御教えに出遇うということは、この喚び声を聞かせていただくことであります。

お盆のご縁を通して、先にお浄土に生まれ仏となられた方々のご恩をよろこぶとともに、目には見えなくても常にはたらきかけてくださっている阿弥陀さまのおはたらきをよろこび、お念仏申すばかりであります。

南無阿弥陀仏