正義も善もやさしさも、時には人を傷つける、知らないうちに

お話

今年も残すところ2週間ほどになりました。

みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私たちは幼い頃から、「正しいことをして間違ったことはしない」、「善いことをして悪いことはしない」、「優しい心をもちなさい」と教えられてきました。

これは生きていく上でとても大切なことです。

けれどもその正義が人を追い詰めることもあります。善いことだと思ったことが、思わぬ結果を生んでしまうこともあります。

優しい気持ちで言ったはずの言葉が、人を傷つけることもあります。

私自身も経験があります。

ではなぜこういうことが起こってしまうのでしょうか。

答えは、その判断基準が「私」にあるからです。

よくヒーローが悪役を退治するアニメや映画がありますよね。

私たちのこの社会というのは、善(ヒーロー)が悪(敵役)を非難する社会になっています。そしてまた、私たち自身も人を善と悪で区別してしまっています。

けれども、その「善」というのは誰から見た「善」でしょうか。

自分が「悪」だと思ってしまっている人は、本当に「悪」でしょうか。

私たちが「この人はいい人だ」、「この人は悪い人だ」という時に隠されている言葉があります。

それは「自分にとって」という言葉です。自分の都合によって人の善悪を決めてしまっているのです。

自分が「悪」だと思っていても、もしかしたら思いがけずそうなったのかもしれません。または、そうせざるを得なかったのかもしれません。その背景を聞くと、本当に「悪」なのかと思うこともあるかもしれません。

私たちは物事の一つの側面だけで善悪を判断してしまい、また何をするにしても自分の都合から離れることができないのです。

「私」という判断基準を綺麗さっぱり無くすことはできませんが、何かをするとき、一度相手の立場を想像して、自分の行いが本当に相手のために思っているのかを考えみてはいかがでしょうか?

南無阿弥陀仏