指差す相手は誰ですか?

お話

皆さん、人差し指を出してください。

そして目をとじてその人差し指を心に浮かぶどなたかに向けてみてください。

私たちは、その指を指した相手に対していつもどのような態度をとっているでしょうか?

ひょっとしたら、ほとんどの方が、相手に対して「あるべき姿」を押し付けてしまっていませんか?

ご主人ならご主人のあるべき姿、奥様なら奥様のあるべき姿、お子さんならお子さんのあるべき姿、友達なら友達として、お医者さんならお医者さん…というように、漠然とした理想像を作り上げてしまっていませんでしょうか。

もちろんそういう風に一つの理想や大きな目標、真のあり方に向かって一生懸命努力することは大切なことではあります。

けれどももし、そのあるべき姿から外れるようなことがあれば、途端に「親としてあるまじき行為」、「友達なのになんで?」、「医者としてそれはどうか」と指差し、非難してしまいます。

けれども本当に問題なのは、その指はいつも相手に向かっていて、自分の方に向けられることはないということです。

他者を指差すのは大好きなくせに、その指を曲げて自分自身を指差し、「そういう私はどうなのか」と考えてみることをしないんです。

そういうことを言っている私も、皆さんに指差してしまっていることになりますが…。

記事を書きながら、自分自身の反省もさせていただいています。

皆さんも他者に向けた人差し指を、自分自身に向けてみてください。

あるべき姿を全うされている方なら、簡単なことかもしれませんが、私たち凡夫にはなかなかできることではありません。

けれども、私たちには阿弥陀さまがご一緒してくださっています。阿弥陀さまは、私の本当の姿を教えてくださいます。いつでも、どこでも、この私に煩悩具足の凡夫、悪業を重ねてきた存在だ、身の程を知れよとはたらいてくださるんです。

阿弥陀さまのこと思いますと、今まで自分に向いてこなかった指先が、自分に向き、本当の自分を見つめるようになってくるのではないでしょうか?

南無阿弥陀仏