合わせてくださる仏さま

お話

浄土真宗のみ教え、阿弥陀さまの有り難さ素晴らしさというのは、「私に合うから素晴らしい、有り難い」ということではないのかなと思います。

親鸞聖人はこの阿弥陀さまのみ教えを、「時機相応じきそうおうの法」、この時代に生きるこの私にとって相応ふさわしい教えだと言われています。

どれだけ素晴らしいものでも、私に合わないとつまらないものです。

何かが私に合うというときには、2通りの場合があります。

1つ目は、「私が合わせる場合」です。

例えば、昔に気に入っていた洋服を着てみると、サイズが合わないなんてことあるかと思います。そんな時には、ダイエットをするなどして、私の身体を洋服に合わせようとしますよね。

こちらが一生懸命になって、そのあるものに合わせていくという場合があります。

もう1つの場合はというと、「私に合わせてもらう場合」です。

私自身、身体が大きいので、スーツは既製品だと合わないんです。袖や裾の長さに合わすと、肩や背中がパツパツになってしまいます。だからと言って、肩幅に合ったサイズでしたら、今度は袖や裾が余って、綺麗に着ることができません。

以前持っていたスーツが着れなくなって、どうしようかなと思って調べていますと、既製品と値段も変わらないくらいで、身体に合ったスーツを作ってくれるところがあると聞いたので、行ってきました。

肩幅や、腕、脚、胴の長さ、首やウエストの太さなど色々測ってもらいました。

その最中スタッフの人は、私に「スーツのサイズに合わせて、もう少し痩せてください」、「もう少し身長を伸ばしてください」ということは言いません。

丁寧に長さを測って、私の身体をよく知った上で、それに合うようにスーツを作ってくださいました。

「私が合わせる場合」と「私に合わせてもらう場合」がありました。

「合わせる場合」だと私の努力であったり、こちらの力が必要になりますけど、「合わせてもらう場合」というのはこちらに力は必要ありません。

では浄土真宗のみ教えが「私に合う」というのは、私が阿弥陀さまのみ教えを聞いて一生懸命こちらがそれに合わせたのか、それとも阿弥陀さまが私に合わせたみ教えを用意してくださったのか。

それは後者ですね。私という存在がいるから、煩悩具足ぼんのうぐそく罪悪深重ざいあくじんじゅうの凡夫であります私がいるから、「そんなあなたを救える仏になる」と言って仏になってくださったのが阿弥陀さまであります。

阿弥陀さまがこの私に合わせてくださったから、私にぴったり合う相応しいみ教えが、この浄土真宗のみ教えです。

阿弥陀さまは、私に「こういう人になりなさい」、「こんなことをしなさい」といった条件をつけられる仏さまではありません。

ありのままの私をご覧になられ、私の全てを知り抜いて、抱いた上で、「大丈夫だよ、安心しなさい」とお救いを告げてくださる阿弥陀さまのみ教えが、私たち浄土真宗であります。

南無阿弥陀仏