蟪蛄春秋を識らず

お話

7月に入り、毎日暑い日が続いていますね。

もう梅雨も終わり、夏が目の前まで近づいてきています。

境内けいだいは、せみの鳴き声が響いて、今年もこの季節が来たかと感じています。

この季節になると親鸞聖人が尊敬された曇鸞大師どんらんというお方のお言葉が浮かびます。

蟪蛄けいこ春秋しゅんじゅうらず、伊虫いちゅうあに朱陽しゅようせつらんや

「蟪蛄」とは蝉のことです。「伊虫」は「この虫」ということで、蝉を指します。

「夏に成虫になる蝉は、春や秋があることを知りません。春や秋を知らないこの虫がどうして朱陽の節(夏)を知ることができるのでしょうか。」

ということが言われています。

私たちが「夏だ」と認識できるのは、春、秋、冬を知っているからです。

夏に成虫になる蝉は、それまで数年間土の中で育ちますが、成虫になってからの寿命は1週間ほどしかありません。

なので、春、秋、冬を知らない蝉が、今が夏だということも知っているはずもないんです。

ではこのお言葉は、蝉だけのことを語ったお言葉なのでしょうか。

私たちもそうです。

物事や他者、ましてや自分自身のこともわからないのが私たちです。

それにも関わらず、自分が見えているものがこの世界の全てだと思い、それ以外の見方を否定してしまっていませんか?

それも全て私たちが自我じがの中でしか生きることができないからです。

そんな私が他者のことを理解できるはずもありません。

他者を理解できない私は、自分自身のこともわからないんです。

そう思いますと、私はこの世界の何もわかっていない。

わかっていないということがわかると、他者の気持ちを完璧に理解することはできませんが、理解しようと努力し寄り添えることができるんじゃないかなと思います。

自分以外の人の思いや見方を否定するのではなく、「ああ、そういう見方もあるのか」と受け入れ、お互いに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

南無阿弥陀仏