阿弥陀さまのお救いは、摂め取って捨てない、「摂取不捨」のお救いであります。
阿弥陀さまの「阿弥陀」というのは、インドの言葉で無量の光を意味する「アミターバ」と、無量の寿命、寿を意味する「アミターユス」の「アミタ」という音を漢字に当てはめたものです。つまり阿弥陀さまは、限りない光、限りない寿の仏さまということです。
光は空間、寿は時間を表していますので、阿弥陀さまは私がどこにいても、いつでも「あなたを救う仏がここにいるよ。だから安心せえよ。」と常に呼びかけてくださっています。
しかしそのお救いの目当てであります私はというと、24時間365日、その呼びかけを聞けているかというとそうではありません。私のこころはどこまでも不確かなものです。ある時は阿弥陀さまのお救いをありがたいとよろこんでいても、ある時は阿弥陀さまのことなど頭からすっかり消えてしまっていることもあります。
そんな私でありますが、阿弥陀さまはひとたびそのよびかけを聞き、いのちを終えた後のことを阿弥陀さまに全ておまかせしたならば、何があっても見捨てることはありません。
この摂取不捨のお救いこそが、阿弥陀という仏さまのお名前のいわれであります。
常に阿弥陀さまをありがたい、阿弥陀さまの呼びかけを聞いていなければ救われないのであれば、不確かなこころを持ち合わせた私が救われることは決してないでしょう。しかし、そんな私をどこまでも追いかけてくださり、摂め取ってくださる摂取不捨の阿弥陀さまでありますから、不確かなこころを持ち合わせている私でも、阿弥陀さまのお救いは確かなものであるとありがたくよろこばせていただけるのです。
南無阿弥陀仏