自是他非の心

お話

先日の報恩講で「自是他非じぜたひ」のお話しがありました。

自分が是で、他は非であるということですが、言い換えると「自分が正しくて、他は間違い」ということです。

これは人間の本性を表した言葉だなと思います。

そのお話しを聞かせていただいて、あるお寺の山門に掲げられていた言葉を思い出しました。

「頭を下げながら人を見下げている 自是他非の心が抜けぬから」

という言葉です。

頭を下げるという行為は一見良い行いのように見えます。しかしそれだけではないですよね。

思い返してみると、「ここで頭を下げておくと丸く納まる」「ここで頭を下げた方が自分にとって徳になる」と思ったことがあります。

皆さんはどうでしょうか?

どこかで自分の損得勘定が入ることが多いような気がします。

さらに「自是他非」の心がありますから、「頭を下げながら人を見下げている」となるのです。

その心の底にあるのは「我執がしゅう」、つまり「自分が一番可愛い」という心です。

そんな私たちに向かって「放っておけない」と言ってくださったのが阿弥陀さまなのです。

阿弥陀さまのお呼び声、「南無阿弥陀仏」のお念仏を聞かせていただいた時、「自是他非」の心を捨てられない自分の愚かさに気づかされ、「お恥ずかしいことです」と頭が下がります。

そしてそんな私をそのまま救ってくださいます阿弥陀さまのお慈悲のお心に、「有り難い」と頭が下がります。

「頭を下げる」という行動は自分の計らい、意思によって起こります。なのでどこまでも自分の我執から離れることはできません。

しかし、「阿弥陀さまに頭が下がる」というのは、自分の計らいではなく阿弥陀さまによって引き起こされることです。

私たちはこの命がある限り「自是他非」の心を捨てることはできません。

しかしそのことが阿弥陀さまの大いなるお慈悲に出遇わせていただくご法縁でありました。

南無阿弥陀仏