見えている世界

お話

9月に入り、朝夕は少し涼しくなったかな?と思うようになりました。

まだまだ日中は暑い日が続いていますが、暑さのピークは過ぎましたね。

夏といえば皆さま何を思い浮かべますか?

私はセミの鳴き声を聞くと「夏だな」と思います。

今年も境内はセミの大合唱で、窓を開けているとテレビの音が聞こえないくらいでした。

親鸞しんらん聖人しょうにんがとても尊敬された曇鸞大師どんらんだいしという中国南北朝時代の素晴らしいお坊さんがおられました。

正信偈にも「本師ほんし曇鸞」と出てきますね。「本師」ですから、親鸞聖人は曇鸞大師を師とあおがれ、お名前も曇鸞大師から「鸞」の字を頂かれたほどでした。

そんな曇鸞大師のお言葉に

蟪蛄けいこ(セミ)は、春秋をらず」

というものがあります。

夏の間だけ地上に出て命を終えていくセミは、春夏秋冬の季節の移ろいを知らないため、夏の景色が地上での全てです。

私たちは季節の移ろいは感じますが、自分の目で見ている世界が全てだと思っていませんか?

この間、阪神タイガースがアレ(リーグ優勝)をしましたね。

私はテレビでその瞬間を見ていて、1人声を出して大喜びをしていたのですが、私が見ていたのはテレビ越しでの景気でした。

しかし、全ての人がその景色を見ていたわけではありませんね。

実際に甲子園で見た人、ニュース速報で知った人などもいます。

一方、阪神ファン以外の人ももちろんいます。

私みたいに大喜びした人だけではないですよね。

野球の話だけではなく、同じものを見ていても人それぞれ思いや状況によって見え方は違います。

今私が見ている景色、生きている世界が全てではないと気づかせていただいたお言葉でした。

南無阿弥陀仏