新年を迎え早くも2週間が経ちました。
1月といえば、日本人の多くの方が初詣に行かれるかと思います。
お寺や神社にお参りされる時、皆さまはどのような「ご利益」を期待されるでしょうか。
事故に遭いませんようにとお願いする「交通安全」、家庭が幸せでありますようにという「家内安全」、病気になりませんようにというお願いの「無病息災」、商売がうまくいきますようにというお願いの「商売繁盛」、受験に合格しますようにという「合格祈願」など、様々なお願いをされるかと思います。
しかしこのような時、神仏に人間の欲望や煩悩にからんだ無理な願い事をおねだりすることになってはいないでしょうか?
病気や天災など諸々の不幸は神さまや仏さまが起こしているわけではありませんし、原因があって結果があるという「縁起の法」に背くようなことはこの世界には何一つありません。そのことを知らないから私たちは縁起の法に背き無理なお願いをして、叶わなければ落ち込み、また人生の拠り所となるものを見失うことにもなるかもしれません。
もちろん浄土真宗にもご利益はあります。
けれどもそれは、今言ったようなものは一つもないんです。浄土真宗は「現世祈祷」に頼らない御教えです。
「じゃあ浄土真宗じゃなくていいのではじゃないか」、「浄土真宗をいただく意味はないんじゃないか」と思われる方もおられるかもしれません。
そもそもこの「利益」というのは、「仏さまが与えてくださる恵み」や「教えをいただいて、この教えに従って生きることで得られる恩恵」という意味合いがあります。
浄土真宗のご利益は「現生十種の益」と言われます。
浄土真宗の御教えをいただいたものが生きている時に得る十種の利益という意味です。
- 諸天善神などの目に見えない存在に護られる(冥衆護持の益)
- 「南無阿弥陀仏」のお名号にこめられたこの上ない尊い徳が身に備わる(至徳具足の益)
- 罪悪が転じてお念仏の善と一味になる(転悪成善の益)
- 諸仏に護られる(諸仏護念の益)
- 諸仏にほめたたえられる(諸仏称讃の益)
- 阿弥陀さまの光明に摂め取られて常に護られる(心光常護の益)
- 心が真のよろこびに満たされる(心多歓喜の益)
- 阿弥陀さまのご恩を知らされ、報謝の生活をする(知恩報徳の益)
- 阿弥陀さまの大いなるお慈悲を人に伝えることができる(常行大悲の益)
- やがて仏になると定まった正定聚の位に入る(入正定聚の益)
これらの利益は、物質的なものではないんです。この十種の益は全て私の方から阿弥陀さまにお願いすることによって与えられるのではなく、「かならず救う」という阿弥陀さまの願いによって与えられるものです。
煩悩に満ちた私ですので、健康や財産などを欲するこころは消えることはありません。しかし私が欲しているものというのは、いつか必ず失われるものです。
一方、阿弥陀さまが与えてくださるご利益は失われることはないんです。
言い換えると「決して揺らぐことのない確固たるこころの拠り所」を得られるんです。
こんなに心強く尊いご利益はないと思いませんか?
南無阿弥陀仏