9月に入ってもまだまだ暑い日が続いています。連日の暑さで疲れているという方も多いのではないでしょうか。
こんなお話を聞かせていただきました。
水道の蛇口を捻ったら、水が出てきます。このことにアラブの石油王の方がえらく感動されて、「この蛇口というものはなんて便利なものなんだ」と言って、蛇口を買って国に帰られました。
そして家に帰って、買った蛇口を家に取り付けて、さあ水が出てくるぞと思いながら蛇口を捻るんですが、いっこうに出てこなかったというお話です。
そりゃそうですよね。蛇口そのものから水が出るのではなく、蛇口というのは水源地から水を引っ張って、浄水場を通って、そしてそれぞれの蛇口に水道管から水が行き渡って、ようやく水が出てきます。蛇口だけあっても、どれだけ捻っても水は出てきません。
何が言いたいのかというと、私たちの口は蛇口みたいだと思っていただきたいんです。
私たちの口は、どれだけ捻っても仏さまのお名前、「なんまんだぶ」なんて出てこない口をしているんじゃないでしょうか。
私たちの口を開いたら出てくるのはなんでしょうか。
愚痴であったり、人の悪口であったり、そんなことはいくらでもでも出てきます。
口から自らの力で「なんまんだぶ」って出てこないのではないでしょうか。
ではなぜ私たちの口からお念仏が出てくるのでしょうか。
それは阿弥陀さまが私たち一人一人に対して、はたらきかけてくださっているからなんです。
阿弥陀さまが、「安心せえよ、必ずあなたを救う」というお心を届け続けてくださっているから私たち口から「なんまんだぶ」と出てくるんですね。
私の口から「なんまんだぶ」とお念仏が溢れ出たということは、阿弥陀さまのおはたらきが私に届いてくださっている証拠です。
では、お念仏をしていない時は阿弥陀さまは一緒じゃないのかというと、そうでもありません。
先ほどの蛇口の話でしたら、水が阿弥陀さまのおはたらきで、蛇口が私の口です。
水が出るということは、水が通じている証拠です。
けれども、蛇口を捻らなければ、水は届いていないのかというとそうではないですよね。
蛇口を捻ろうが捻らまいが、水は届いています。
お念仏もそうです。
私の口から「なんまんだぶ」とお念仏が溢れ出るのは、阿弥陀さまのおはたらきが私に届いてくださっている証拠です。
けれども、お念仏をしていなければ阿弥陀さまのおはたらきは届いていないのかというとそうではありません。
私がお念仏をせていようがしていまいが、阿弥陀さまは常に私に働きかけてくださっています。
いつでもどこでもご一緒してくださっている阿弥陀さま、有難い仏さまですね。
南無阿弥陀仏